MAKSIM
MAKSIM Mrvica (マキシム・ムルヴィツァ)は、1975年、クロアチアのアドリア海沿岸にある美しい街、シベニクで生まれる。6歳で初めてピアノに触れ、9歳で音楽学校に入学し、ピアノの教育を受け始める。
1991年、ユーゴスラビア紛争が勃発。彼の住む街も激しい戦渦に巻き込まれたが、そうした過酷な環境のなかで、彼は明日への希望をピアノに託し、音楽学校の地下室で練習を続けた。1993年にクロアチアの首都ザグレブで開催された初めての本格的なコンクールで優勝。一番戦火の激しかった地域からの出場者が優勝したことに会場の誰もが驚き、『戦場のピアニスト』と呼ばれるようになった。
その後ザグレブの音楽学院、ハンガリーの首都ブタペストにあるリスト音楽院で学び、さらなる研鑽のためにパリに移住。様々な音楽家の下で研鑽を積む間に数々のコンクールで優勝を重ねた。
2003年にEMIクラシックスと契約、初めてのアルバム『ザ·ピアノ·プレイヤー』で世界デビューを果たす。当時より特に、日本を含めたアジア圏で人気を集め、彼のアルバムはシンガポール、マレーシア、インドネシア、中国ではゴールド·ディスクに、台湾と母国クロアチアではプラチナ·ディスクを、香港ではダブル·プラチナを獲得。HMVインターナショナル·ポップ·チャートで12週間連続NO.1に輝くという記録を持つ。
2004年より日本をはじめとするアジア各地でのツアーを毎年開催。世界各地でクロスオーバーミュージックやクラシックのコンサートを開催し、長年にわたる興行動員数は合わせて約10億人以上となる。
2008年、自身のレーベルから初めてのアルバム『pure II』をリリース。同年11月には東京·横須賀·名古屋でのソロ公演も行い、日本での人気を確立した。2014年のBunkamuraオーチャードホールでのコンサート以降、大規模な興行では10年間日本を離れていたMAKSIMだったが、2024年秋に日本6都市を回るジャパンツアーを開催する。
年表・ディスコグラフィー
1975
1984
1991
1993
1998
2000
2001
2003
2004
2005
クロアチア・ダルマチア地方シベニクに生まれる。
ザグレブの音楽学校にてピアノを学び始める。
クロアチア紛争勃発。
クロアチア首都ザグレブで開催されたコンクールで優勝。ザグレブ音楽大学に入学。
アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリの弟子、ヴラジミール・クルパンに師事。
ハンガリー国立リスト音楽院に進学。
在学中にニコライ・ルービンシュタイン国際ピアノコンクールで優勝。
パリに移住、イゴール・ラスコに師事。
ポントワーズ・ピアノコンクール優勝。Cantusよりアルバム『Geste / Gestures』リリース。
EMIと契約。アルバム『The Piano Player』をリリース。
収録されているグリーグ作曲『ピアノ協奏曲 イ短調』が、東芝の携帯電話(機種:A5506T) CMに使用された。
アジアツアーを開催。 EMIより アルバム『Variations Part I & ll』リリース。
ユーリ・シモノフ指揮モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団とラフマニノフ作曲『ピアノ協奏曲第2番』を共演。EMIより アルバム『A New World』リリース。
2006
日本全国ツアー開催。20都市を巡るツアーは国際的アーティストとしても当時は初めてのことだった。EMIより アルバム『ELECTRIK』(エレクトリック)をリリース。
2007
アコースティック・ピアノソロの日本全国ツアー。 自身のレーベル MBOより
アルバム『Pure』リリース。
2008
アコースティック・ピアノソロの日本全国ツアー。MBOより アルバム『Pure ll』リリース。
EMIより アルバム『Greatest Maksim』リリース。シングル『Olympic Dream』は北京夏季オリンピックのオリンピックオフィシャルアルバム『Harmony』に収録された。
2010
2012
2014
2015
2018
2023
Universal Musicより アルバム『Appassionata』リリース。
Universal Musicより アルバム『The Movies』リリース。
Bunkamuraオーチャードホールコンサート開催。
Universal Musicより アルバム『Mezzo e mezzo』リリース。
Universal Musicより アルバム『Croatian Rhapsody』リリース。
MBOより アルバム『New Silk Road』リリース。
東京芸術劇場にて、9年ぶりのコンサート開催。